PROFILE
名前
水野 祐衣
生年月日
1999年3月9日
ポジション
LW
背番号
10
出身地
福島県
身長
166cm
利き手
右
勤務地
マツオカ建機 株式会社
経歴
学法石川高校→日本体育大学→三重バイオレットアイリス
PLAYER'S JOURNEY
プレーヤーの歩み
幼少時代
福島県石川町で生まれ育ちました。小学生の頃はサッカーやバスケ、水泳など様々な習い事をしていました。その中でもバスケが大好きで、練習がない日でも、おばあちゃん家にあるバスケットゴールにひたすらシュートを打っていました。小さな小学校で、人数も少なかったので、陸上大会や水泳大会など色んな大会に出場させて頂きました。とにかく身体を動かすことが大好きでした。
中・高校・大学時代
中学校でもバスケ部に入部しました。中学3年間で身長が30cmくらい伸び、それにつれて色んなポジションをやりました。
中学2年生のときには特設駅伝部に入り、毎朝400mトラックを10周したり、クロスカントリーを走ったりと、とにかく毎日走って、とてもきつかったのを覚えています。しかし、駅伝部に入ってから、体力もついて、足も速くなり、バスケも自然と上達していきました。当時は本当にきつかったですが、今の体力や足の速さがあるのは、駅伝部に入ったおかげだと思います。
高校では、違うことに挑戦してみたいと思い、友人に誘われてハンドボール部に入部しました。私と同じ未経験者がほとんどで、創部3年目ということもあり、部員も少なかったです。毎日上達していく自分が嬉しくて、とにかくどんな練習でも楽しかったです。私たちの代になったときには、東北大会にも出場でき、嬉しかったです。
高校を卒業してからもハンドボールを続けたいという想いが強く、高校の顧問が日体大出身ということもあり、ご縁があって、日本体育大学に進学しました。大学4年間は本当に辛かったです。レベルの差もあり、何度も私には場違いだったと思いました。しかし、私を信じて自分の母校に送り出してくれた高校の顧問の存在が大きく、なんとか4年間やり切ることができました。
高校3年間ではハンドボールの楽しさを学ぶことができ、大学4年間ではハンドボールの厳しさを学んだ気がしています。
リーグ所属 以降
ハンドボールは大学で終わろうと思っていました。しかし、大学4年生のときに、コロナウイルスによりインカレが中止になり、このままで終わりたくないという想いが芽生えました。私のレベルでは通用しないかもしれないし、不安しかありませんでしたが、少しの可能性があるならJHLでプレーしてみたいと思いました。私のプレー動画を送り、当時監督だった櫛田さんとZOOMをして、三重バイオレットアイリスに入団しました。
今年で4年目になりますが、この3年間はなかなか試合に出ることができず、もう辞めてしまいたいと思ったこともありました。しかし、今は引退してしまいましたが、同期の2人がいたから今まで腐らずに頑張ることができました。
今シーズンは、大好きな2人に試合を観に来てもらい、2人の前で活躍することが私のひとつの目標です。そして、福島県にいる家族や恩師、後輩の応援が私の中でとても心の支えとなっているので、今シーズンはコートに立って、恩返しができるように絶対頑張ります。応援していただけると嬉しいです。