PROFILE
名前
後藤 早耶
生年月日
1999年10月15日
ポジション
RW
背番号
9
出身地
兵庫県
身長
159.2cm
利き手
左
勤務地
三重執鬼 株式会社
経歴
魚住中学校ハンドボール部→神戸星城高等学校ハンドボール部→大同大学ハンドボール部→三重バイオレットアイリス
PLAYER'S JOURNEY
プレーヤーの歩み
幼少時代
私は小さい頃からゲームとか家で遊ぶよりかは外で遊んだりする方が好きで、小学校3年生からバレーボールを始めました。左利きということもあり、身長はあまり大きくはなかったですがアタッカーをさせてもらい5年生くらいから試合に出させてもらうようになりました。6年生になってからはキャプテンをさせてもらいました。
練習などとても厳しく、このバレーボールでメンタルはかなり鍛えられた気がします。
中・高・大学時代
中学では小学校のときやっていたバレーボールの先輩がバレー部の先生は怖いということと練習が厳しいという理由でハンドボール部に入っていたので私も流されて入りました。バレー部の練習が厳しく、しんどいからハンドボール部に入ったのですがハンドボール部もなかなか厳しく、中学で私が特にしんどかったのは外周リレーで、名前の通りチーム対抗で外周をリレーするのですが1位の人から抜けていくというルールで最後の1人になるまで走り続けるという練習が特に厳しかったです。3年では兵庫選抜に選ばれあまり試合にも出れない悔しさと、あまり良い結果を出せなかったのが高校で続けようと思った理由です。
高校では北国銀行でプレーをされていた野路良子先生がいる神戸星城高校に入学しました。中学ではセンターをしていたので高校でも初めは45度をしていましたが、高校2年の後半からサイドになりました。3年の県総体ではベスト7に選んでいただき、インターハイではベスト16の成績でした。
大学は愛知県の大同大学に入学し、コロナで試合がなくなったり、あまり練習ができない時期などが多くありました。ですが、大学最後の年は無観客で行う試合もありましたが、インカレにも出場することができいい結果ではありませんがいい思い出が作れました。
リーグ所属 以降
大学の時にコロナであまり試合が出来なかったりしたこともあり、自分の中で不完全燃焼だったことと、指導者をしたいと言う思いがあり、指導者をする前に自分のスキルをもっと上げたいと思ったのが日本リーグで続けようと思った理由です。所属をしていま3年目となりますが、1.2年目は中々試合でプレー出来なかったり自分の実力が出せていなく、悔しい思いがあります。ですが、いつも職場の方やファンの方、家族などいろんな方が励ましや応援の声を掛けてくださり、本当にバイオレットファミリーの暖かさを感じています。
皆さんの支えがあるから私たちが何不自由なく日々ハンドボールが出来ているんだなと感謝の気持ちでいっぱいです。この感謝の気持ちを忘れず、この3年目は皆さんの前でプレーできる時間を伸ばしていけるようにもっとレベルアップしたいと思います。引き続き応援よろしくお願いいたします。