PROFILE
名前
塩田 成未
生年月日
2000年12月13日
ポジション
LW
背番号
24
出身地
広島県
身長
163.2cm
利き手
右
勤務地
鈴鹿サーキット
経歴
山陽高等学校→武庫川女子短期大学→三重バイオレットアイリス
PLAYER'S JOURNEY
プレーヤーの歩み
幼少時代
小学校3年生まで水泳を習い、兄と姉の影響から3年生から6年までドッジボールクラブに入り5年生からレギュラーで夏の全国大会で準優勝という結果を出すことができました。小学校からきつい練習、県外遠征、チームワークの大事さを経験し忍耐力、体力が備わったと思います。ドッジボールの相川監督に育ててもらって感謝です。
中・高・大学時代
中学生では母がママさんバレーをしていて、私も参加することが多く中学生ではバレーボール部に入部し普通の中学校生活を送っていました。ハンドボールの出会いのきっかけは姉が高校から山陽高校でハンドボール部に入り、試合などを見に行き山陽高校のハンドボール教室に通ったりしたのが出会いです。
その経験の中で珍しい競技、体力には自信があったので興味が湧きやりたいと思ったのと山陽高校の恩師である青戸先生から、声をかけていただき私のハンドボール人生が始まりました。高校生でハンドボールをしながら商業の資格をとり、高校卒業後には資格を活かした仕事に就こうと考えていましたが、青戸先生に【まだやられる、今やめると後悔する】と声をかけていただき、武庫川女子短期大学のハンドボール部に行くことを決めました。短大ではコロナ禍でリーグなどが開催されずそのまま卒業となり、私自身心残りがありました。そんな中で姉が三重バイオレットアイリスに所属しており、私もトップリーグでどれだけ通用するかチャレンジしたくなりました。しかし、トライアウトを受けようとしましたが、サイドのポジションが多く入団する予定でトライアウトを受けることが出来ませんでした。1年間武庫川でバイトとハンドボールの練習をしながらトップリーグに入団するという夢を諦めませんでした。1年後トライアウトを受けれることができ、2022年度に入団することが出来ました。
入団できたのも卒業してからも気にかけてくれた恩師の青戸先生。卒業しても練習参加を許可していただき指導してくれた佐久川監督に感謝です。
リーグ所属 以降
2021年度から櫛田監督から早めに合流する許可をいただき姉の家でバイトしながら練習に参加していました。そんななかで練習参加したすぐのこと、姉が練習中にアキレス腱を断裂するという大きな怪我をし、姉とハンドボールをしたいのもあり入団を決めましたが早々に怪我をし頼れる姉がいなく心細く泣きそうになることが沢山ありました。それでも姉とコートに一緒に立つという夢を持ちながら練習に励んでいたが、姉が引退を決意しその夢は叶わぬまま終わりました。数日間は私自身何を目標に向かっていけばいいか受け止めれない自分がいたことも事実で、それでも姉の分まで頑張ることを決意した時期でもあります。それから私自身小さな怪我や体調不良でチャンスを掴めず登録抹消も言い渡され、試合も出れないまま入団して2年が過ぎました。そして勝負の3年目。ここで芽が出なければ私自身これからのことを考えなければならないシーズンでもあります。これまでのシーズン悔しい思いばかりで結果も出せませんでしたが今シーズンは團選手みたいにスピードを活かしてコートを駆け回りたいと思います。とにかくやってみる!私自身今シーズン泥臭くコートで表現します!