PROFILE
名前
初見 実椰子
生年月日
1997年9月10日
ポジション
PV
背番号
3
出身地
神奈川県
身長
165cm
利き手
右
勤務地
三重県スポーツ協会
経歴
中川西中→佼成学園女子高→東女体大→ソニー→三重バイオレットアイリス
PLAYER'S JOURNEY
プレーヤーの歩み
幼少時代
幼稚園の年中くらいから小学校5年生まで約7年間、チェコのプラハに住んでいました。小学生になってから母の影響でテニスを始めたり、友達と一緒に空手やアイススケートなど色々なスポーツをやってきました。私が通っていた日本人学校は1学年1クラスで10人いるかいないかの小さい学校だったので友達の影響で一緒に新しいスポーツや習い事を始めることが多かったですね。休み時間にはクラスのみんなでドッジボールをよくしていました。友達と家で遊ぶ時も家の中でドッジボールをしていた記憶もあります(笑)昔からボールを投げることや体を動かすことは好きでした!小学6年生になって日本の小学校に転校し、友達に誘われて新しくバスケットボールを始めました。小6から始めたばかりの初心者で、チームの皆んなにはたくさん迷惑をかけました…。色々な経験をして、小さい頃から色々なスポーツに触れさせてくれた両親には感謝しています。
中学・高校・大学時代
残念ながら自分のバスケットボールの能力には自信がなく中学で続けることは諦め、新しくハンドボールを始めることにしました。厳しい部活で顧問の先生も怖いというのも聞いて覚悟を決めて入部しました。聞いていた通りの厳しいトレーニング、体験したことのない炎天下での練習であっという間に真っ黒なゴボウのようにかりかりになりました(笑)厳しいトレーニングでしたが今の自分の体幹、体の強さがあるのはこの時のトレーニングのおかげです。メンタル面も鍛えられ、ハンドボールをしていく上での基礎、基盤が中学でしっかり出来上がったと思います。
その後高校は先輩方の影響で強豪だった東京の佼成女子に進学しました。高校は中学とはまた違った厳しさで、遅くまで使える体育館で長時間練習し、1年の大半が校内合宿で家にいる時間よりも体育館にいる時間の方が長かったです。毎日の厳しい練習や、年に一度韓国遠征もあったりしてフェイントやDFのフットワークが新しく自分の武器になりました。技術面はもちろんですが当時の監督である石川浩和先生には、ハンドボール以外の面で今までされたこと無いような厳しいご指導をたくさんしていただきました。当時は先生が本当に怖くて何度も逃げたくなりましたが、そのご指導のおかげでハンドボール以前に人としてどうあるべきなのか、人間性の部分で多くのことを学びました。ご迷惑はたくさんおかけしましたが、私の人間性を育ててくださった先生を今でも尊敬しています。
そんな私に声をかけてくださり、高校の先輩方も行っていた東女体大に進学しました。今の同期3人とはここで初めて同じチームになりました!4年間苦楽を共にしてきたからこそ今だから笑える話がたくさんあります!
1年生から国体、インカレも経験させていただいたり、日本リーグのチームと一緒に合宿させていただくことも多く、黄さんにも4年間たくさんお世話になりました(笑)そういった日本リーグのチームとの合宿を重ねるうちに自分もこの舞台でプレーしたいと徐々に思うようになりました。
リーグ所属 以降
学生時代、世界学生(U24)で一緒にプレーした先輩方ともう一度一緒にやりたいという思いで鹿児島のソニーに入団しました。日本代表の先輩がいたり、レベルの高い選手が集まっていて自分にとっては今までない新しい刺激になりました。そんな中で試合に出られるようになるまで自分自身レベルを上げることは簡単ではありませんでした。2年目、3年目になってもなかなか試合でのプレー時間が伸びずに苦しんでいるところ3年目の途中で代表に初招集されました。そこでプレーできたことが自分にとってとても自信になり、自分はまだできると思えるようになりました。そこで自分をもっと成長させるために移籍することを考えるようになりました。ちょうどその年に黄さんがバイオレットの監督に就任し、大学時代からお世話になっていた黄さんの元でハンドボールがしたいという思いからバイオレットへの移籍を決めました。途中でチームに合流し、その後も代表合宿に招集していただいてチームを不在にすることが多く最初はなかなか馴染めませんでしたが、そんなのも今ではとても昔のように感じています(笑)自分が今まで経験したこと、肌で感じたことを今のこのチームに還元していくのが自分の使命だと思っています。これからも自分の役割をしっかり全うしていきたいと思います!