PROFILE
名前
飯塚 美沙希
生年月日
1996年7月30日
ポジション
CB
背番号
6
出身地
東京都
身長
163cm
利き手
右
勤務地
HondaCars三重北
経歴
昭和学院中→昭和学院高→桐蔭横浜大→アランマーレ→三重バイオレットアイリス
PLAYER'S JOURNEY
プレーヤーの歩み
幼少時代
毎日のように兄と兄の友人と遊んでいました。小学3年生のある日、バレーボールの体験をしようとしたものの、練習時間を間違えてしまいハンドボールと出会いました。笑 もともと兄もハンドボールをしていたのでハンドボール自体は知っていたのですが、初めはやりたい!とはっきり言うほどの気持ちがなかったのは覚えています。1日体験のつもりでやってたのですが、初めてシュートを打って入った時、監督やコーチがニコニコしてすごく褒めてくれて。。笑 その時の嬉しさが大きくてもっとシュートを入れたい!って思うようになったのがハンドボールを始めたきっかけですね。私のクラブチームでは、毎回その日のMVPの子に景品が渡されたのですが、ある日兄が貰っているのを見て、それが羨ましくて。笑 私だってMVPになって貰うもん。という兄への対抗心からハンドボールに対する強い気持ちが芽生え始めました。笑
中・高校・大学時代
中学受験をして、昭和学院中学校、高校と一貫の学校へ進学しました。中学生になると、人数が少なかったのもあり、男子と一緒に練習したり、高校生の先輩方と一緒に練習をさせてもらうことが多々ありました。私にとって憧れの先輩方との練習はめちゃくちゃ緊張したし、わくわくしました。あの先輩と一緒に練習してる~!!と嬉しかったのを今でも覚えてます。もちろん高校生の練習に参加させてもらっていたので、走るメニューも一緒にやっていてそれが本当にキツくて、、よく覚えています。笑
中学生の頃はなかなか成績を残すことが出来ず大きな大会に出場することはありませんでした。ですが、この頃に同じチームの渡辺樹選手、アランマーレの佐藤美月選手と一緒にJOCという選抜チームに選出され、一緒にプレーしていました。佐藤選手との出会いはここから、、笑 高校生になると、私の想像していた高校生活よりもっと充実した生活を送っていました。朝早くからハンドボールの生活が始まったりとで、毎日始発で通っていたのを覚えています。もちろん、ハンドボールだけではなく勉学も両立して行かなければいけない環境、そして上下関係。また歴史あるチームだからこそ、勝つことが当たり前。正直当時は、キツイなぁと思うことが沢山でした。けど、この高校生活は社会に出てから必要なことや役立つことを沢山学んだと胸を張って言えます!厳しい環境に置かせてもらえたことに感謝しています。
そして大学生。大学生になってハンドボール以外のことでビックリしたことは?と聞かれたら授業の長さにビックリしました!と答えそうです。笑 高校に比べて倍以上長くて驚きました。。笑
というのは置いといて、大学生…一言で言うと桐蔭横浜大学のハンドボール部だったから今の私があると思っています。私は大学の監督からハンドボール以外で大切なものを学びました。もちろん、勝つことが全ての世界かもしれません。だけど勝つこと以上に必要なこと、人としてどうあるべきか、全てを教えてくれたのが桐蔭横浜大学の監督でした。その監督のもとでやってきた4年間の最後は満足いく結果ではありませんでした。私が4年生の最後の秋リーグ。初めてキャプテンを任された年でした。その年で4チームが同率。得失点差の勝負。。どこが優勝か最後の最後まで分かりませんでした。どうなるか分からない状況の中、勝てば優勝が有り得るし、負けたら4位、そんな中での試合。秋リーグ最後の試合は桐蔭vs筑波大学の試合でした。最後同点で終われば優勝がありえるかもしれない!そんな中ラスト10秒くらいで私がファールをしてしまいレッドカードになりました。7mになり点数を決められ敗戦。結果は4位で最後のリーグが終わりました。言葉にできない程の悔しさで、会場が埋まっていてすごい声援だったにも関わらず、何にも音が聞こえない位頭が真っ白になりました。その悔しさや申し訳なさ、そしてあの感覚がずっと残っていてこれが大学生活1番の心残りかもしれません。。ですが、大好きなメンバーと監督と出逢えた事は私の財産です。戻れるなら大学生に戻りたいです!笑
リーグ所属 以降
社会人になりアランマーレに入団。当時は新しい環境に、初めての仕事、そして寮生活に少しワクワクしていました。チームの人数が少なかったのもあり、1年目から試合に出させてもらいました。毎日同期とハンドボールについて語る日々。ご飯を食べながらみんなで語り合っていたことがすごく懐かしいです。笑
社会人になってからは1年目が1番しんどい年だったかもしれません。笑 だけど辛い時はとにかく同期で集まる。そしてみんなで頑張ろうって言い合って、みんなで褒めあって、話の最後は笑って明日も頑張ろうね!と言い合う同期。毎日でした。笑 だけどそうやって毎日語り合う同期が私にとってすっごく大きな存在で、同期がいたから頑張れました。そして社会人3年目になりキャプテンを任されました。最初は不安が大きく、最後には何か残せたのだろうとかと思う事もありました。ですが心強いチームメイトやスタッフのおかげで私自信に足りないものは何かを気づかせてくれたのがこの3年目でした。そしてここでチームを退団することに決め、現在のチーム三重バイオレットアイリスに移籍することを決めました。環境を変えて自分自身ステップアップしたいと思ったのがきっかけです。新しいチームや新しい環境、新しい職場、、ワクワク。。(2回目)バイオレットに来て大好きな先輩方や後輩や同期、そしてスタッフの方々。新しい環境で時間を過ごす度に一緒に戦うことの楽しさやもっと勝ちたい。という想いが更に強くなっていきました。三重に来て1年目、目標としていた結果には届きませんでしたが間違いなく自分にとって大事な1年でした。そして2年目、昨シーズンの思いを胸にプレーオフ進出するという気持ちがさらに強くチームみんなで戦いました。プレーオフ進出を逃した事をシーズン中に知り、それでも最高順位で終わろうと、最後まで皆が見ていたところは同じでした。そんな中残り3試合と言うところで試合中に左膝前十字靭帯断裂してしまいました。試合中完全に切れたなと、すぐに分かりました。あと2試合。最後までやりきれなかった事が悔しかった。すごく悔しかったです。それでも私の為にと言ってくれるチームメイトの皆さんには感謝しかありませんでした。そして、今シーズン。キャプテンとしてチームを任されました。ファンさんになって3年目であり私自身も3年目。この3年間プレーオフに進出出来ず悔しい思いでシーズンが終わっています。OGの皆さんやシューターズの皆さんが造りあげてくださったバイオレットを守れるように、そして皆さんに結果で恩返しが出来るよう今シーズン戦います。
私自身まだコートに立てるまで時間はかかりますが、必ず強くなって戻ってきます。よろしくお願いします。