#16 GK
Mika Hanamura
花村 美香
  • PROFILE

  • 名前
  • 花村 美香
  • 生年月日
  • 1992年8月10日
  • ポジション
  • GK
  • 背番号
  • 16
  • 出身地
  • 岐阜県
  • 身長
  • 170cm
  • 利き手
  • 勤務地
  • 株式会社フローラ
  • 経歴

    羽島ハンドボールクラブ→羽島中学校→岐阜県立岐阜商業高校→武庫川女子大学→三重バイオレットアイリス

    PLAYER'S JOURNEY

    プレーヤーの歩み

    幼少時代

    小さい頃から身体を動かすのが好きで、休みの日には公園やアスレチック等にたくさん連れて行ってもらっていました。小学校が遠かった(2.5kmくらい)ので、毎日40分くらい歩いて通っていました。そこで、基礎体力がついたのかもしれません(笑)。学校から帰ってくると、近所の友達とドッチボールやおにごっこ、ローラースケート、一輪車、バドミントン等、家の前の道路でいろいろな遊びをしていました。田舎だったので、近所の人達に見守られ、道路で何でも有りの状態でした(笑)。その一緒に遊んでいた友達がハンドボールをやっていて、誘われたのがきっかけで、小学校3年生の時に羽島ハンドボールクラブに入りました。最初は人数も少なく、体育館でハンドボールというよりは、ボール遊びをしている感覚でした。ドッチボールやバレー、バスケ、縄跳び、バドミントン等のいろいろな遊びをしていることも多かったです。だんだんと人数が増え、試合に出るにはGKを作らないといけなくなり、GKをやったのがきっかけで小学校4年生からGKになりました。みんながボールを怖がって、GKをやりたがらなかった中、ボールを止める楽しさを感じ、GKになりました。小学校6年生の時には、初めて全国大会にも出場できました。

    中・高・大学時代

    小学校の時から練習していた体育館がそのまま進学する羽島中学校の体育館だったので、小学校の時から一緒にやっていたメンバーがそのまま中学校でも一緒でした。練習は水曜日と金曜日の夕方17時30分から21時30分までがメインで、当時には珍しい、部活というよりはクラブチームとしての練習が多かったです。男女関係なく、小学生から中学生、時には高校生や大学生とも一緒に練習する日々でした。小さい時から、男女一緒でカテゴリー問わず、身近に上手な人達とずっと練習できたのは、今思えば、素晴らしい環境だったと思います。中学2年時には春の全国大会(春中)に出場しました。
    高校では、県立岐阜商業高校に進みました。小、中と一緒にやっていたメンバーも多く一緒に進学したのもあり、1年生から試合に出させてもらっていました。先輩達は高校からハンドボールを始めた人が多く、全国大会経験の1年生がごっそり入って、試合に出る状況は先輩達にとっては、複雑だったと思います。高校2年時の春の全国選抜大会に出場しましたが、1回戦負けで、夏のインターハイでは全国大会で勝つことを目標に頑張っていました。しかし、インターハイ予選では、飛騨高山高校に1点差で負け、インターハイ出場はかないませんでした。ハンドボールは高校までで、卒業後は就職するつもりでいましたが、最後の1点決められた場面、負けた瞬間が悔しく、このままでは終われないと思い、大学でも続ける選択をしました。全然無名の選手でしたが、武庫川女子大学の当時の監督だった、樫塚先生から、声をかけてもらい、武庫川女子大学に進学しました。
    大学に入ったものの、2~4年生でGKが4人いて、1年生の時は試合に出ることは無く、ずっとビデオを撮っていました。高校までは、1年生から当たり前にユニホームを来て、試合にでていたのが、ユニホームももらえない、ベンチにも入れない1.2年間を過ごしました。大学に入るまでは、ほとんど自己流でプレーしていたので、大学で初めて、先輩や監督からGKをちゃんと教えてもらい、練習についていくだけで必死だったので、当たり前の状況ではあったものの、同期が試合に出ているのをビデオで撮っているのは悔しかったです。2年生の時にユニホームを初めてもらった時はとても嬉しく、ユニホームの価値を初めて感じました。大学3年時に監督が変わり、松木先生になったタイミングで、私も下積み時代を乗り越えて、ようやく試合にも出場出来るようになりました。4年生の時の関西春季リーグでは優秀選手に選ばれ、自分のプレーにも自信が持てるようになったタイミングで、三重バイオレットアイリスから声をかけてもらいました。仕事とハンドとの両立が出来るか、すごく悩みましたが、誰でもなれるものではないからと、バイオレットに入ることを決断しました。4年生での最後のインカレは大阪体育大学に負け、ベスト8で終わりました。

    リーグ所属 以降

    三重バイオレットアイリスには、大学時代一度も勝てなかった、大阪体育大学出身の角南果帆、河嶋英里と一緒に入団しました。2015年、私がバイオレットに入団したタイミングで、退団選手が多かったり、監督が櫛田監督に変わったりとバイオレットにも変化の年でした。櫛田さんは新しいことを取り入れたり、選手の主体性、個性を尊重する監督で、バイオレットとしての選手の在り方、心技体の大切さ、今のバイオレットの基礎を一緒につくっていきました。当時は、まずはプレーオフに出場するのが目標で、私にとっては2年目の2016-17シーズンに初めて出場することが出来た時は、本当に嬉しかったです。今までのバイオレットを知っている人達や応援してくださる方々の喜ぶ姿を見ると、バイオレットの歴史を一つ変えることが出来て本当嬉しかったです。そこから、4年連続でプレーオフには出場しましたが、1勝がとても遠く、今年こそはという思いで、気づいたら10年目になっていました。(笑) 2015年からGKは#1高木(山根)選手、岩見選手(現GKコーチ)と1つのゴールを守る為に、ライバルでありながら、お互いに協力してバイオレットのゴールを守ってきました。途中、岩見選手の2、3回の大きな怪我があったり、高木選手の結婚・出産、四日市商業高校時代の舟久保選手(現北國ハニービー石川)の入団・退団、榎選手(現イズミメイプルレッズ広島)の入団・退団、そして、#18神谷選手、#31千葉選手の入団…と、私は変わらず、この10年目を迎えました。こうやってみると、バイオレットのGKは変わってないようで、(私が変わっていないだけで)意外にもいろいろと変化しています。
    同期として入団した角南選手(2015~2016-17年までバイオレット)は昨年引退しましたが、河嶋選手(2015~2019-20年までバイオレット)はソニーで、同級生の細江選手(2016~2019-20年までバイオレット)はスペインの地で頑張っているので、刺激をもらいながら、10年目のシーズンも頑張りたいと思います。

    QUESTION

    質問
  • ハンドボールを始めた年齢
    9歳
  • 愛用しているシューズ
    アシックス ゲルロケット
  • 今シーズンの個人目標
    最後までやり抜く
  • 目標達成のために努力していること
    身体のケア
  • 試合前に必ずすること
    ストレッチ
  • オフにすること
    温泉に行く
  • ハンドボールを始めたきっかけ
    友人に誘われて
  • 自分のプレーの持ち味 / 見どころ
    安定感、ボールをよく見る所
  • バイオレットの良いところ
    個性豊か
  • モーニングルーティン
    全身を伸ばす
  • コンディション維持の秘訣
    食事、睡眠、ストレッチ
  • 遠征に必ず持っていくもの
    入浴剤、ケアグッズ
  • 子供の頃にやっていたスポーツ
    ハンドボールのみ
  • 子供の頃の憧れ、夢
    スポーツ選手
  • もしハンドボール選手じゃなかったら
    普通の会社員
  • これだけはチームNo.1だと思うこと
    身体の丈夫さ
  • 語り出したら止まらない事
    -
  • 幸せだと感じる瞬間
    アラームをかけずに寝ること、姪の写真・動画を見ること
  • マイブーム
    -
  • 集めているもの
    -
  • 好きなアーティスト
    あまり音楽は聞かないです。
  • 将来の夢
    ハンドボールとずっと関わっていくこと
  • 今期の目標
    プレーオフ出場
  • ファン・サポーターへひと言
    若返ったチームですが、ベテランとして、後ろから支えていきます!新しいバイオレットの歴史を一緒につくって行きましょう!
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