PROFILE
名前
鳩野 果歩
生年月日
1997年8月27日
ポジション
RW
背番号
17
出身地
神奈川県
身長
158cm
利き手
左
勤務地
株式会社 福村屋
経歴
相原中学校→横浜創英高校→東京女子体育大学→三重バイオレットアイリス
PLAYER'S JOURNEY
プレーヤーの歩み
幼少時代
小学生の時は、体育と音楽は好きでした。
もうあまり記憶が残っていないですが、休み時間や体育の授業はしっかり動いていた気がします。そしてかなりの人見知りでした。人前に立って発表したり、授業で手を挙げて発言をするときは、泣きそうになっていました。(笑)
中・高・大学時代
中学校でハンドボール部に入部しました。最初、ジャンプシュートが出来ず、出来るようになるまでかなり時間がかかりました。みんながやっている練習とは別でずっとジャンプシュートをしていたら、いつの間にかできるようになり、その頃から今までずっとサイドポジションをやっています。中3で高校受験をする時に、ハンドボールを続けるか迷っていましたが、顧問からの勧めもあり、続けました。
高校生の時は、朝練に行く為にいつも5時頃には家を出ていました。寝坊した時は、先輩より先に学校に着かなければと焦り、家から駅まで自転車を爆走させる時もありました。良い思い出です。朝が早いので学校が終わって練習して帰ったらすぐに寝ていました。なので、授業内でテストがある時などは、眠いけれど行きの電車内で勉強をして時間を有効活用していました。(偉い!(当たり前))文化祭や体育祭は、試合や練習があり、全然参加していなかったです。(泣)それでも毎年クラスのみんなが応援してくれて最高のクラスでした。高3で大学受験をする時も、ハンドボールは続けずに、英文科のある大学に進もうと思っていましたが、光栄なことに声をかけてくださり、大学でも続けることを決めました。
大学では児童教育学科の短大の方に入学しました。授業の関係で1.2年生の頃は練習をほぼ毎回遅れて参加する形でした。3年生で体育学科へ編入をしました。編入をして2年間で4年間分の体育学科の単位を取らないといけないので、毎日ずっと授業を受けていました。(授業多過ぎて大変でしたが最高のお友達がいたのでとっても楽しかった♡)肩が痛いと思いながらも練習をしていたら膝を怪我してしまいました。初めて長期離脱する怪我をして、どこも痛くない、健康でいることの素晴らしさを感じました。中学生高校生の時は、ものすごく気が強い人間でしたが、怪我や大学生活で、自分の考えなどが変わった気がします。そして、お気づきだとは思いますが、なかなか大学ではハンドボールしていないんです。(笑)
学生時代は全てが最高の思い出ですが、高校時代は特に最高の時間でした‼
リーグ所属 以降
大学でハンドボールは辞めると決めて就活をしていました。内定をいただいたところにしようと決めていましたが、インカレが終わった頃に、このままやり切った!と思えずにハンドボールをやめていいのかなと思い、昨シーズン引退された團さんに電話をしました。その頃は全然仲良くなかったのに(上下関係が厳しい学校だったので)2個上の先輩に電話をするという行動を起こした私と、電話してみな!と背中を押してくれた同期には拍手です。(笑)
バイオレットのトライアウトを受けさせていただく事が決まり、アンダーなど代表にも入ったことのない、大学のリーグで何一つと結果を出していない私が、バイオレットの練習に参加するのが申し訳なく、緊張しまくりで、カッチカチでした。泊まったホテルの電気の消し方が分からず、探すのにかなりの時間をとられ、ずっと付けっぱなしで寝たのでコンディション的には最悪でした。(笑)自分の得意なプレーをみせてと当時の監督の櫛田さんとGMの梶原さんに言われて、とりあえずシュートを打ちました。(他にもやりました)私を受け入れてくださった櫛田さん、梶原さん、チームの皆様と特にれいさんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。入団が決まった1ヶ月後には、日本リーグでバイオレットとしてコートに立たせていただき、学生時代から素晴らしい経験をさせていただいたなと思います。バイオレットでの4年間は書き表せない程の思い出が詰まっているので、知りたい方はぜひ、直接話します。(笑)
入団5年目になりますが、スポンサー企業の皆様やファンの皆様、そして、今までのバイオレットを作り上げてきた偉大な先輩方の想いと共にこれからも戦っていきたいと思います。そして、皆様に元気や勇気、笑顔になれるようなプレーができるよう頑張ります‼