PROFILE
名前
森本 方乃香
生年月日
1993年10月19日
ポジション
RB
背番号
23
出身地
愛知県
身長
168cm
利き手
左
勤務地
ナーシングホームしらゆりケア
経歴
天神山中学校→愛知商業高校→早稲田大学→三重バイオレットアイリス→釜山BISCO(韓国リーグ)→三重バイオレットアイリス
PLAYER'S JOURNEY
プレーヤーの歩み
幼少時代
両親がバドミントンをやっていたので、幼少期は姉とともにバドミントンをしていました。小学校の部活動が当時バスケットボール部しかなかったので仕方なくバスケットボール部に入りました。体を動かすことが元々好きなほうでしたので、バスケットボールは楽しくやっていました。
中・高・大学時代
中学でもバスケットボール部に入る予定でしたが、4歳上の姉が訳あってバスケットボール部からハンドボール部に転部しました。姉のやっていることをすぐ真似したがる私は、ハンドボール部に入りました。私の中学校のハンドボール部のレベルは、名古屋市の大会で一回戦勝てたら良いぐらいの弱小でした。そんな中でも、中学3年の時にJOC選抜の候補選手に選んでもらいましたが、JOC選抜までは選ばれませんでした。
愛知商業高校の顧問から声を掛けてもらい、推薦で愛知商業高校に入学しました。高校のハンドボール部は上下関係が厳しく、顧問も厳しい方だったので、毎日の練習が本当にしんどく、ハンドボールが楽しいと思えませんでした。何度も辞めたいと思っていました。高校が商業科だったこともあり、卒業後は就職する予定でした。高校3年生の時、あるチームメイトに当時のU-20の監督(現在豊田合成の田中茂監督)からオファーがあり、その際にたまたま左利きを探しているというお話を顧問にして、うちに良い左利きがいると顧問が茂さんに推薦して下さったお陰で、私のプレーを見てもらい、私もU-20の代表に選出されました。そこから、U-22、U-24と選ばれるようになりました。顧問が私のお話をしていなかったらあれほど貴重な経験はできていませんでしたね。
U-20での経験で、ハンドボールの楽しさを知り、大学でも続けたいと思うようになりました。
そんな中、早稲田大学から声を掛けてもらい、早稲田大学へ進学することを決めました。早稲田大学のハンドボール部は、男子が何度も日本一になっている歴史ある部ですが、女子はまだ歴史が浅く、関東一部リーグの下位チームでした。私の同期で現在リーグHに所属している選手は男女合わせて東江雄斗だけです。私の同期は男女仲良かったのでよくみんなで飲んでいました(笑)
そして今度こそ卒業後は就職をするつもりで、大学4年になってから会社説明会に行ったり就職活動を少しし始めたところで、三重バイオレットアイリスの当時監督だった櫛田さんから声を掛けてもらいました。他にも2チームから声掛けてもらいましたが、最も魅力を感じた三重バイオレットアイリスに入団することを決めました。
リーグ所属 以降
2016-2017シーズン、三重バイオレットアイリスに所属し、1年目からRBとして、基本的にオフェンス専門で試合に出させてもらっていました。大学まで通用していたこともカテゴリーが変わると通用しないことが多く、たくさん悔しい想いをしました。
2年目(2017-2018シーズン)には、2019年の世界選手権プレ大会ということで特別に作られた日本リーグ選抜に選出され、当時の日本代表と対戦しました。日本リーグ選抜の監督は荷川取さん、コーチがファンさんでした。のちにチームの監督として一緒に戦うことになるなんてこの頃はもちろん全く想像もしていませんでした(笑)普段、対戦相手の選手の方々と同じチームとして一緒にハンドボールをすることは不思議な気持ちもありましたが、レベルの高い方々と一緒にハンドボールが出来てすごく楽しかったです。逆に、当時日本代表だった原さんと多田さんとは同じチームなのに対戦相手だったので、それもまた複雑な気持ちでした(笑)
3年目あたりからPVやRWなどさまざまなポジションを経験させてもらいました。それまではプレータイムが少なく、苦しい時期が続きましたが、PVやRWをやらせてもらうようになってからはプレータイムが少しずつ増えていきました。色々なポジションを経験することで、さまざまな目線からの発見があるので、自分にとってすごくプラスになりました。
3年目(2018-2019シーズン)の1月、左足舟状骨の疲労骨折が発覚し、手術を勧められましたが、今手術をしたらプレーオフに間に合わないため、シーズンが終わったら手術をすることにしました。それまで激痛に耐えながらやっていました。
プレーオフのオムロン戦、負けてしまいましたが、個人的には疲労骨折しているとは思えないほど調子が良かったです。その時はRWとして試合に出ました。
プレーオフ後すぐに、左足舟状骨の疲労骨折と同時に両足首の人工靱帯再腱の手術をしました。手術自体は高校の時から何度かしましたが、復帰まで半年ほどかかる手術は初めてでした。約5ヶ月のリハビリを経て、8月の国体予選で試合復帰しました。
4年目(2019-2020シーズン)の12月頃、櫛田監督から韓国リーグの釜山BISCOの監督が急遽左利きを探しているという移籍のお話がありました。釜山BISCOとは何度か親善試合をしていました。急なお話だったので戸惑いましたが、釜山BISCOの監督は当時女子の韓国代表の監督でもあり、アジアのトップレベルのチームで韓国トップの監督とハンドボールができるなんてすごく貴重な経験で、自分がどのくらい通用するのかも挑戦してみたい!と思い、移籍することを決めました。契約はリーグ期間の1月~4月でしたが、その頃新型コロナウイルスが流行し始めた時期で、急遽リーグが中断してしまい、2月末に帰国しました。短期間の韓国リーグとなってしまいましたが、RB、RWとして毎試合出させてもらい、言葉の壁で悩んだこともありましたが、韓国でプレーできたことは私のハンドボール人生の中でも本当に貴重な経験でした。そして、釜山BISCOとの契約が終わったら三重バイオレットアイリスに戻りたいと考えていたので、再度三重バイオレットアイリスにお願いし、再入団させてもらいました。
5年目(2020-2021シーズン)、6年目(2020-2021シーズン)も基本的にRWとして試合に出ていました。本来のRBとして試合に出たい気持ちもありましたが、RWが怪我でいなかったこともあり、試合に出れるに越したことはない!と思いながらRWでも前向きに楽しくやっていました。
7年目(2021-2022シーズン)になり、ファン監督を迎え、三重バイオレットアイリスは新体制となりました。
最初は、櫛田監督とファン監督の指導方法が真逆の監督だったので、慣れるのにかなり時間がかかりました。
7年目にして、初めてRBのスタートメンバーとして1シーズン通してやらせてもらいました。1年を通して大きな怪我なく、RBとしてやりきれたことは個人的にすごく成長出来たシーズンだったなと今では思っています。
8年目(2023-2024シーズン)、前のシーズンよりもパワーアップするぞという意気込みと、まだまだ成長出来る。と自分自身に期待していた矢先、4月末の練習試合中に左膝前十字靱帯断裂、外側内側の半月板損傷という大怪我をしてしまいました。MRIの結果を聞いた瞬間、絶望的でした。まさか自分がこの怪我をするなんて思っていなかったし、若い年齢でもないので、先のことなんて何も考えられず、ハンドボールを続ける自信もモチベーションもなくなっていました。そんな時、その頃ルームシェアをしていた熊﨑かずみ(昨シーズン引退したチームメイト)からの何気ない一言がすごく心に響きました。「辞めるのは簡単だけど、昨シーズン試合を観に来てくれた家族や応援してくれている人は、ほしさんのプレーを観ることを最後だと思って観てないはずだよ」と。なぜかその言葉がグサッと来ました。昔は自分自身が満足して、自分自身が楽しければそれでいいと思ってハンドボールをやってきました。今でもその気持ちだったら簡単に辞めていたと思います。今は何よりも、昔からずっと応援してくれている家族にハンドボールで活躍している姿をもう一度見せたい、という想いが強くなっていました。何のためにハンドボールをしているのかを怪我を通して感じられた瞬間でした。そこからは、絶対に復帰して元気な姿をみんなに見せる!という一心で、ハンドボール人生で最も長かった地味~で辛~いリハビリ生活を必死に乗り越えました。予定よりは遅れましたが、手術をして約9ヶ月後、2月の名古屋で行われたセントラルゲームで試合復帰することができました。全ての辛かったことが一気に吹き飛びましたね。言葉で言い表すことができないほど嬉しかったですし、続けて良かったーと思えました。決して怪我をして良かったとは思いませんが、怪我をしたから今まで見えなかったものが見えたり、怪我をしていなかったら感じられなかったさまざまなことを感じる事が出来たので、私にとってすごく貴重で大事な時間だったんだなと今では思っています。また、たくさんの人の支えがあったから今の自分がいるので、私の周りにいる全ての方々には本当に本当に感謝しています。
そして昨シーズン、長年一緒に頑張ってきた沢山のチームメイトが引退しました。正直、私自身も引退するかずっと悩んでいました。家族、職場の方、先輩、色々な人に相談しました。昨シーズンはシーズンの半分以上リハビリ生活を送り、試合復帰はしたものの不完全燃焼でシーズンを終えました。ここで引退したらきっと自分自身が一番後悔するだろうと感じたので、今シーズンもハンドボールを続けることを決心しました。もし怪我をしていなかったらここで引退していたかもしれません。
今シーズン、世代交代をし、昔の三重バイオレットアイリスを知る者は数名となりました。その数名の一人が私です。チームとしても個人としても大事なシーズンになると思うので、今まで三重バイオレットアイリスが大切にしてきたものを私が率先して守りつつ、今までの三重バイオレットアイリスに足りなかったものを今の仲間と共に作り上げ、二つの良さが融合した新生三重バイオレットアイリスを皆さんにお見せできるシーズンにしたいです!